好きなことは慰めもんなんかじゃない

好きなことは慰めもんなんかじゃない、そんなこと、あってはならない

ミニマリストと水泳と習慣

 

今僕は水泳に通っている。

 

健康への投資だ。

 

体は1番大事な資本だ。

 

お仕事が出来ないほど体調を崩し、それが続くのであれば、その分の損失は計り知れない。

 

給料も入らない。

何よりある期間寝込んでは、自分が好きなこと、やりたいことなんて出来やしないのだ。

 

だから、僕はお金を払ってプールに通う。

健康を買ったのだ。

 

さて、ミニマリストと水泳について。

ミニマリストと水泳の相性は大変良い。

水中に持ち物は不要だ。

必要なのは、水着とゴーグル。

最低限の物を身につけ、酸素すらもない水中へ。

当然、水中の中にも何もない。

クロールをして、呼吸をするだけだ。

まさにミニマリスト

 

泳ぎ終えると、心が清々しい。

まるで、呼吸と共に心の不要物を捨てているのではないかと思う程に。

 

最低限の水着を身につけ、心も空っぽ。

どんな嫌なことがあっても、泳いだ後は、嫌な気分は残っていない。

疲労感と泳ぎきったことの達成感があるだけなのだ。

 

 

プールに通うというのは、未だ習慣化されていない。

その実、プールに向かう為に水着の準備をしている最中に自分が語りかける。

「疲れるじゃん」「今日はゆっくり休んで、明日行けばいいじゃん」「面倒じゃん」「プールへ行く時間を、もっと人生を良くする時間にあてたら?」

と言った具合に。

そして、プール施設へ向かう道中にもその声は鳴り止まない。

 

この声がしなくなった時、僕はプールへ行く習慣を身につけたということになるだろう。

習慣を身につけるのって、不快なんだと思う。

でも、良い習慣を身につけられたら、人生は良くなることはわかっている。

不快からくる数々の言い訳、まとめて全部受け流していこう。

行動に対する批判はロクなもんじゃない。

 

良いじゃん!プール楽しいじゃん!

健康になるじゃん!

健康への投資が、気づかないけど1番大きなリターンを得られる。