好きなことは慰めもんなんかじゃない

好きなことは慰めもんなんかじゃない、そんなこと、あってはならない

ミニマリスト開始!

 



さて、今日捨てた物。

 


「デイサービス生活相談員便利帖」

中身をコピーして職場に置いてあるので、不要となりました。

私の職業も丸わかりですねー

 


「お金が貯まるのはどっち⁉︎」

読み終えたので、不要となりました。

この本を読んで、貯金は信金にした方が良さそうだということと、

こんな自分でもマンションが買える!という希望が持てた本でした。

 


この本2冊は、メルカリに出品しました。

 

 

 

さて、捨てようか捨てまいか大変迷った物がある。

3DSとそのゲームソフトだ。

結論から言えば、捨てることにした。

捨てるか迷った時点でそれは、捨てても良いものという判断基準がミニマリストにはある。

たしかにその通りだと思った。

捨てたいと思うのだが、もう一人の自分が捨てない理由をひたすらに述べてやめさせようとする。

そうして迷うのだ。葛藤するのだ。

「捨てたい」と最初に思っているのだから、捨てるものなのだ。

その葛藤を打ち破った言葉がある。

「どんなに楽しい遊びに貪欲でも、常に虚しさがついてまわる」

たしかに、ゲームをしているとよく、「自分はこんなことをしていて良いのだろうか、他にやるべき事があるだろう」

と、心の声が聞こえてくる。

その声を無視して、ゲームを終えると、時間を無駄にした様な、カラッポな気分になる。

何より決定的なのが、自分が想像する自分の未来には私がゲームをする姿は無いのである。

DSを手放す事で、その後DSによって奪われる時間を生み出す事が出来た。

この生まれた時間で、自己投資をしていこう。